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Brush up!速読感想文コンクール結果発表


読書感想文コンクールにたくさんのご応募いただきありがとうございました!

入賞作品は下記の通りです。

※タイトルをクリックするとウィンドウが開いて入賞作品を読むことができます。
※掲載作文の著作権は主催者にあります。無断での転用・転載を禁じます。
 


「キスのおまじない」を読んで

日本速脳速読協会からの選評

それぞれのおかあさんのやさしさや愛情がすごく伝わってきて、読んでいてとてもあったかい気持ちになる文章でした。作中のチェスターとおかあさんと同じような、ほほえましい親子の姿が目に浮かびました。これからもおかあさんに感謝の気持ちを忘れずにいてください。

「速読トレーニングの感想」

日本速脳速読協会からの選評

4年間の成長の姿がとても具体的に伝わってきました。速読を通してたくさんの本に親しんでもらえることはたいへんうれしいことです。検定5段の目標に向かって、これからもがんばってトレーニングを続けてください。

「速読と私」

日本速脳速読協会からの選評

常体を用いて淡々と綴っていくので、一見冷めているかのような印象もあるが、実は速読甲子園に対する熱い気持ちが伝わってくる不思議なおもしろさがある文章でした。

「キスのおまじない」を読んで

わたしは、この本を読んで「あたらしいことをやる時はふあんになるけど、一生けんめいがんばったらたのしいことやうれしいことがある」ということを学びました。
 この本のしゅ人こうは、アライグマのチェスターです。チェスターは「学校なんか行きたくない。ぼくはおかあさんといっしょにおうちにいたいの」と言います。おかあさんは「はじめはいやだなぁ、とおもってもやらなければいけないことがだれにでもあるのよ。でもね、行ってみたらきっと学校が大すきになるとおもうわ。」とはげましました。あたらしいお友だちもできるからです。わたしも、はじめてすることはきんちょうするのでチェスターの気もちがよくわかります。ほいくえんに行っていた時は、お父さんやおかあさんとわかれるのがいやでした。だから、チェスターの「おかあさんといっしょにいたい」というチェスターの気もちもわかります。
 おかあさんはチェスターに、「キッシングハンド」という手のひらにキスをするおまじないを教えました。そして、「さみしくなったら手をほっぺたにあてて、おかあさんはいつでもいっしょにいてくれるんだとおもってね」と言います。チェスターはゆう気が出て、学校に行く気もちになれました。わたしも、おかあさんにキスをしてもらうとゆう気が出るので、「おなじだな」とおもいました。
 この本は、さいごにすてきなことがおこります。学校の前で、チェスターがおかあさんの手にキスをして「おかあさんにもキッシング・ハンドをあげるね。いってきます。大すきだよ」と言って、学校に行くのです。
 わたしのおかあさんは、チェスターのおかあさんとおなじ気もちでわたしを学校におくり出してくれているそうです。わたしもチェスターのように、おかあさんにゆう気をあげられるようになりたいなとおもいました。

「速読トレーニングの感想」

私は一年生の時から速読を始め、4年がたちました。一年生の時は目を動かすトレーニングの時に首が動いてしまい先生によく注意されていましたが、最近はほとんど首が動かないでできるようになりました。
 二年生の時に7級から準5級へ飛び級することができ、とてもうれしかったです。
 またトレーニングの中にはゲーム感覚で楽しむことができるものもあるので、そのトレーニングをする事が楽しいです。
 視点をどこにも合わせずに全体を一度に見るトレーニングはむずかしいけれど、もっと練習をして全体を一度に見ることができるようになりたいです。
 速読をやっていて本を読むのが速くなり、一さつを一日で読むことができるようになったので速読をやっていてよかったなと思いました。
 私は動物が大好きなので、動物に関する本を全部読み、歴史と文学書にも挑戦してみたいです。
 今は準3級なので、全部の項目で百点を取り5段を取りたいです。

「速読と私」

 速読と私の出会い。それは、ごくありふれたもののひとつであったように思う。その当時の私は速読なるものにさしたる興味はなかったし、こんなにも私を虜にするものとは、夢にも思っていなかった。では、なぜ私は速読を始めたか。答えは簡単だ。親しい友人がやっていたから、である。何とも情けない理由えはあるが、それはともかくとして私は速読と出会ったのだった。
 そして私はすぐに速読というものに夢中になった。自惚れではないが私は少々人より国語が得意であり、それもあってか、トレーニングでは良い成績を残すことができ、それが私の自信へと繋がっていた。その頃には友人は速読を辞めてしまっていたが、それが気にならないくらい、私は速読に夢中になっていた。
 速読甲子園。その単語を始めて耳にしたのは、速読を始めてから随分と時間が経ってからのことだったように思える。確か小学五年生の十一月頃に始め、速読甲子園が開催されるのが夏の終わり、具体的に言えば九月頃であるから、半年以上経って速読の特殊なトレーニング手法にも慣れ、我が物顔でPCをいじっていた頃だろう。教室全体で一丸となり挑戦する団体戦と、己の力を試す個人戦。そのどちらもが、私を飛び付かせるには十分すぎるほどのものだった。やってみないかと担当の先生に持ちかけられた時は、期待に胸を躍らせながら、二つ返事で頷いたものだ。
 しかし、結果はとてもじゃないが、満足のいくものではなかった。散々とまではいかなくとも、全国の強豪の実力を見せつけられ、己の稚拙さを自覚させられた。今でもあの悔しさを思い出すことができる。そして私は、この悔しさを胸に、次の大会では人に「素晴らしい」と褒められるような成績を残すことを、固く胸に誓った。目指せ下克上、である。
 それからというもの、激変というのは少々脚色が過ぎるであろうが、私の中で何かが劇的に変わったように思える。具体的に挙げるとするならがその何かは「驕るのをやめた」ことだ。それまでの私は無駄なプライドのせいで凝り固まり、高慢ちきのつならない人間だった。しかし速読というものは、思いがけず私の慢心を打ち砕いてくれたのである。そして私は努力を知った。己に立ちはだかる壁に怯まず向かってゆくための武器を手に入れたのである。今までは軽くこなすだけだったトレーニングも、地道に、そして真剣に取り組み、苦手なメニューも楽しんで消化し、自分の糧としていった。
 そして次の夏。私の努力はついに実を結んだ。まだまだ先はあれど、ひとまずは笑顔になれる結果が出せたのである。たかが習い事、と小馬鹿にしていた過去の自分が見たら白目を剥くのではないだろうかと思うほど、私は喜んだし、周りも同じように喜んでくれた。そこで私ははたと気付いた。出会いこそ褒められたものではないが、速読は今や私にとってなくてはならないものとなっていることに。その時私が包まれた、胸をすくような感情こそ、本当の喜びだったのではないかと、今になって思う。
 あれから幾年か経ち、また私は速読甲子園に臨もうかとしている。もう何度も挑戦してきた壁だというのに、いや、だからこそ大いに緊張している。だが、たゆまず努力を積み重ねてきたこれまでの日々を思えば、やってやるぞという強い意志と力が湧いてくる。今年はまた新たな舞台に立てるよう、この大会に臨もうと思う。